歯科医を目指したわけ -12-

学生時代 -その1-

医学部には未練たっぷりでしたが、親友の尾崎からの “歯学部卒業してからさぁ、やっぱ医学部と思ったらまた受験すればいいよ。とにかく大学生になれよ” という言葉に従うことにしました。
入学金18万、初年度授業料30万、合計48万円を振り込み、徳島大学歯学部に入学することになったのです。
しかし、これと同時に、学部長宛に手紙をしたため、授業料免除の申請もしました。
成績上位ならば 学費免除もある、と規則書にあったからです。
今までに源泉徴収できっちり税金を取られてきたし、たばこ税もかなり払ってるので、収めなくて済むものなら収めたくはないですからね。
それから、会社を辞めたときに失業保険の手続きをしておいたので、3月から失業保険がでていました。もらえるもんは、きっちりもらわないとね。
入学してから分かったことですが、国立大学では学費負担者が自分自身である場合には、成績が上位50%くらいであれば授業料が全額、または半額免除にしてもらえるのです。

徳島で住むところを決めなくてはいけなかったのですが、このためだけに徳島まで行くのはもったいないので、とりあえずは学寮に入りゆっくりと探すことにし、学生寮の申し込みをしました。
数日し許可がおりたので、荷造りをして徳島市城南にある学生寮に布団を送りました。
また、学生たちからもクラブ活動の勧誘のはがきがたくさん送られてきて
(いよいよ大学生になったんだなあ) という実感が湧いてきました。
徳島に旅立つ10日間あまりは、お世話になった方々への挨拶回りに費やしました。

このとき、母はすでに73歳でした。私が徳島にいった後には母がひとりになってしまいますが、
母の寂しさを思いやることなど全くできませんでした。

ただただ、やっと大学生になれた喜び、母から解放される喜びでいっぱいでした。
ありがたいことに、姉が隣町の吹上町に住んでいたので、年老いた母を残すことになっても気持ちの上ではかなり気楽だったのです。
しかし素直じゃないんですねぇ。 “かあちゃん、寂しい思いをさせてごめん” “ねーちゃん、母ちゃんをよろしく頼むよ” なんて言えませんでした。
学生時代 その2

入学式を数日後に控えて徳島入りし、学生寮に行きました。 寮長である工学部の八木さんと寮母さんに挨拶し、割り当てられた部屋に送られてきた布団を運びました。
八木さんから学寮での集団生活上の注意を一通り聞いたのですが、かなり鬱陶しい規則に縛られている感じで (こんなんじゃ、勉強どころじゃないなぁ) と思い始めていました。
八木さんは “歯学部の5回生もいますから 大丈夫ですよ” と言ってくれました。
(へー、こんな空間の中で生活していて、よく5回生になれたなあ。けっこうすごいヤツなんだろうなあ。いろいろアドバイスもらおう。)と思いました。

まず最初にやるべきことは、収入の道の確保でした。
こちらに来る前に送っておいたバイク --- 日用雑貨の仕入れをやっていたときに、岡本のスキンを売りまくって、もらったんです --- で 県庁の傍にある家庭教師センターに行きました。 どうしてここを見つけたのかは全く覚えていませんが、おそらく荒金さんの紹介だったと思うんですが・・・・・。この荒金さんは工学部の3回生で、バイクで大学を見て回っていたときにたまたま友達になったんです。

“いらっしゃい、結婚相談ですか?”
“はあ? ここって、家庭教師センターじゃないんですか?”
“'ああ、紹介してますよ、家庭教師も。何年生ですか?”
“今年、徳大に入学しました。”
“はあ?あのー、子供さんの家庭教師の紹介ですよねぇ”
“いえいえ、ぼくが教えたいんです。”(そりゃ 勘違いするわなぁ)

とりあえず 家庭教師の登録をし、“ええおなご、ようけおるでぇ” というおばちゃんの悪魔のようなささやきに、タダという条件で結婚紹介の登録もさせられました。
このときは、ほんとにここで見合いをすることになるとは思ってませんでした。
その後、度々ここに顔をだしていたところ、阿南市の高校2年生を紹介されました。
徳島市内からはちょっと遠いのですが、贅沢は言えません。とにかく収入の道を確保しなくてはならなかったですから。

入学式に出るつもりで早めに徳島に行ったのですが、入学式に出ても一銭にもなりませんので、 バイトに精をだすことにしました。