歯科医を目指したわけ -1-

実は、子供の頃から勉強は大嫌い

がきのころから勉強は大嫌い

中学校を卒業するまで、将来は遊んで暮らせる(と思っていた)野球選手になることしか頭にありませんでした。小学校時代はキャッチャー、中学校ではピッチャー で、“キャッチボールすんべえや”と誘われれば、絶対に断ることはありませんでした。いずれは巨人に入団するんだから、と机に向かえばサインの練習。一生懸命にやるのは、野球の練習とマラソン大会の前のトレーニングくらいでした。しかし背が伸びないんですよね。負けん気だけは強いものの、“体力的にプロでは辛いべえ” と周りから言われるうちに、自分でも (悔しいけどムリだよなあ)、と思うようになってきました。
10歳でおやじと死に別れ、おふくろは駄菓子屋をやりながら私と姉を育ててくれました。時代もそうでしたが、とにかく貧しかった。そんな中、おふくろが金の出し惜しみをしなかったのが教育費で した。野球の選手にもガクが必要ということで、でも実は医者になってほしかった、ということだったんですがね。

おふくろの操縦よろしく、球界から医療業界に転身?したのですが、根っからの勉強嫌い。これはいかんともしがたく、本を読んでは “人生いかに生くべきか” なんちゅうことに思い耽ることしきりでした。
“勉強はいつでもできるが高校時代は二度とない”とかなんとか言っちゃって。
貧乏なのに姉が私立の音楽大学に行ったもので、私まで私立大学には行けるわけがありませんでした。ですから、大学は国立大学の医学部、がとりあえずは目標でした。
憧れ、と言ったほうがいいような成績ではありましたが。

そして受けたのが奈良県立医科大学。
奈良には有名な橿原考古学研究所があり、「医学の勉強をしながら遺跡の発掘のバイトをする」 なんていうのは、私にとってかなり “かっこいい” ことでした。
しかし夢は幻となりました。 高校は出たものの、“人生如何に生くべきか” 全くわかりませんでした。 さらに、組織に縛られ安定を得ることを潔しとしない。しかも、やったらやっただけ見返りのある仕事、といえばバイトばかり。今で言うフリーターですね。
しかし、高校時代の同級生が次々と ‘安定企業 ’に就職していくのを見ていて、「その日暮らしの根無し草」だということに馬鹿な私も気づきました。そして正社員として働くことになりました。すでに24歳でした。

くどいようですが、生来勉強が嫌いなので、大学に行かないことは別に苦痛でも何でもなかったのですが、大卒を横目で見ながら学歴の無いことからくる偏見、って確かに感じていました。
さらには、自己顕示欲が旺盛なもので、どんな仕事をやっても必ず上司と衝突するのです。
“みんな左を向いてんのに、なんでおまえだけ右なんだよー” ってね。
(組織の中では自分を生かしきれないな)って感じていました。